

その匠の技に、息を呑む。
覚王山日泰寺参道から、ひとつ奥へと歩み進める。
そこに在るのは、精巧な日本様式で設えられた趣ある佇まい。
『料亭 松楓閣』は覚王山の地に誕生し、名古屋市内でも指折りの日本料亭として知られている。
昔の建築工法は最初に庭をつくり、次に建物をつくる手間のかかる作業工程であった。
松楓閣も例外ではなく、約十年の歳月をかけて完成したものと伝えられている。
棟梁は、棟札から山田浅次郎と判明。
約千五百坪の敷地には、百二十畳の大広間をはじめ、
大小二十余のお座敷、そして窓の外に広がる美しい日本庭園の数々。
樹齢百年超の桜、瑞々しい若葉、露にひかる鞍馬石など、
四季が彩る静寂のなかに人々が求めてやまない充足のひとときが満ち溢れていた。




























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1934(昭和9)年
棟梁の山田浅次郎らにより
上棟される -
1941(昭和16)年
太平洋戦争勃発
戦火から難を逃れる -
2006(平成18)年
本館と離れが
国の登録有形文化財に指定 -
2022(令和4)年
惜しまれつつも
『料亭 松楓閣』閉館







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1934(昭和9)年
棟梁の山田浅次郎らにより上棟される
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1941(昭和16)年
太平洋戦争勃発戦火から難を逃れる
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2006(平成13)年
本館と離れが国の登録有形文化財に指定
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2022(令和3)年
惜しまれつつも『料亭 松楓閣』閉館
百年以上もの間、多くの人々を魅了してきた『料亭 松楓閣』。
棟梁、山田浅次郎による芸術作品と称しても過言ではない建築は、感服の念を抱かずにはいられないほど見事なものであった。
窓ひとつとっても、形状から装飾、そしてそこから見える景色の画角まで、幾重にも推敲を重ね、揺るぎない美学を注ぎ込んでいることが窺い知れる。
この度『料亭 松楓閣』は一時代の幕を閉じるのだが、その思想を継承し、次代へと語り継いでゆくことこそ、残された私たちの使命であると考える。
※掲載の写真は2022年4月に撮影されたものです。